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  • 執筆者の写真橘美彩

奄美と祈り

先日泥染めをしに奄美大島に行った。

島のはずれの宿の近くを歩いていたら軒先にかけたおばあちゃんに声をかけられた。

「あなたはどこの子なの」

「京都から来ました」

「京都。でも奄美に家族か親戚がいるんでしょう」

「いえ、いないです。旅行です」

「でもご先祖様が奄美にいるんでしょう。あなたはどこに祈るの」

「奄美には祈るところはないけど、神様やご先祖様には祈りますね」

「そうなの、でも親戚やご先祖様はどこなの」

「埼玉です。あと京都」

「でも奄美にどこか祈るところがあるでしょう。奄美のどこに祈るの」

こんな感じの話が何度も繰り返されて、どうやら認知症のようだった。

目がキラキラとしていてかわいいおばあちゃん。

最後にはあがってお茶飲んで行きなさい、と言ってくれた。

(疲れていたので断ってしまったけれど…)

おばあちゃんが認知症だとして、初対面の私に祈りについての話が繰り返されるのは、それだけ祈りが日常にあって大事に思っているからなんだろうなあ。

「どこに祈るの」

よく水汲みに行く神社では感謝の気持ちを伝えるようにしている。

あとは父方の祖父母のお骨がある東本願寺は京都駅に出る用がある時には出来るだけ寄るようにしている。

祈りというかなんというか。

東本願寺で手を合わせているといつも涙が出てくる。

何をお願いする訳でもないんだけど。

何が行われていてそうなっているのかはっきりとは説明出来ない。

ただ私は会った記憶も無い(祖母に会った最初の記憶は彼女のお葬式で、私が初めて見た”亡くなった人”だ)祖父母が近くにいるということだけで守られているような気持ちでいる。


祈りは自分の為にするものなのか、相手の為にするものなのか。

いまだによくわからないので基本的にはお願いよりも「いつもありがとう」と伝え、

あとは心の中の言葉にしなくても手を合わせるだけで喜んでくれているのでは〜という気持ちでいる。

そのあたりどうですか、ご先祖様、神様。



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